百人一首
【原 文】忍ぶれど色に出でにけりわが恋は ものや思ふと人の問ふまで
【上の句】忍ぶれど色に出でにけりわが恋は(しのふれといろにいてにけりわかこひは)
【下の句】ものや思ふと人の問ふまで(ものやおもふとひとのとふまて)
【決まり字】2字決まり「しの」
超現代語訳
ヤバっ!?バレちゃってるの?
そんなに顔に出てる?「恋してるの?」って聞かれちゃうほどに
歌のポイント
- 歌会で「忍ぶ恋」をテーマに読み上げた歌
- この歌で、41番の歌人・壬生忠見に勝ったハナタカの歌
- 「しの もの」と覚える
- 名前が似てるけど、平清盛とは一切無関係の人物
歌の情景
この歌は、第62代・村上天皇主催の「天徳内裏歌合(てんとくだいりうたあわせ)」で、「忍ぶ恋」をテーマにして詠まれた歌で、名勝負と語られている歌です。
スタンダードに歌を詠むならば「わが恋は しのぶれど ものや思ふと 人の問ふまで 色に出でにけり」となりますが、2重の倒置法により、「しのぶれど~」と歌い上げ、秘密の恋が次第に周囲にわかっていってしまうリアリティを盛り込み、41番の歌人・壬生忠見(みぶのただみ)よりも優れてるとされ、勝利を治めました。
語意
【しのぶれど】秘密にしてきたけれど
【色に出でにけり】「色」は顔色や態度
【ものや思ふと】恋に悩んでいるのかと
【人の問ふまで】人が気にして聞かれるまでに
歌の分類
【歌集】拾遺和歌集
【歌仙】三十六歌仙
【テーマ】恋の歌
【50音】し音
歌を詠んだ人物
【作者】平兼盛(たいらのかねもり)
【性別】男性歌人
【職業】官人(現代職業:官僚)
【生年】不明
【享年】991年1月16日(正暦元年12月28日)
平兼盛(たいらのかねもり)は、平安時代中期の官僚で、第58代・光孝(こうこう)天皇の孫の孫です。幼いころから、和歌や古代中国の文化や思想を学ぶ漢学を熱心に学び、官僚の育成機関である大学寮では主に歴史を学びました。
その後、越前(現在の福井県)の国や山城(現在の京都府の一部)の国の役人として活躍しました。「拾遺和歌集」「後拾遺和歌集」の代表的な歌人で、勅撰集には83首が収められ、三十六歌仙の一人でもあります。
プライベートでは、妊娠中の妻と離婚し、その妻が生んだ子どもの親権を猛アピールしましたが、認めてもらえなかったエピソードが残っています。その生まれてきた子どもは、59番の歌人・赤染衛門(あかぞめえもん)とされています。