百人一首
【原 文】今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな
【上の句】今はただ思ひ絶えなむとばかりを(いまはたたおもひたえなむとはかりを)
【下の句】人づてならでいふよしもがな(ひとつてならていふよしもかな)
【決まり字】3字決まり「いまは」
超現代語訳
もう君のことをあきらめるって、直接言いたいんだよね。直接会って言う方法ないかな?
歌のポイント
- とっても悲しい禁断の恋の歌
- アンラッキー続きな人生を送った男が詠んだ歌
- 平安のトラブルメーカーが詠んだ歌
歌の情景
この歌は、道雅と第67代・三条天皇の娘・当子内親王(とうしないしんのう)の悲しい恋の歌です。当時、道雅は父・伊周の不敬事件によって要注意人物とされていました。そんな中で内親王との恋愛は当然のことながらタブーとされて、二人の禁断の恋は三条天皇によって引き裂かれてしまいました。
その時に、当子内親王への気持ちもう諦めるけど、直接会って伝えたいと詠んだ悲しすぎる歌です。
語意
【今はただ】今となってはもう
【思ひ絶えなむ】思いをあきらめてしまおう
【とばかりを】ということだけを
【人づてならで】自ら直接に 間に誰かを入れないで
【いふよしもがな】言う方法があればなあ 「よし」は方法 「もがな」は願望
歌の分類
【歌集】後拾遺和歌集
【歌仙】-
【テーマ】恋の歌
【50音】い音
歌を詠んだ人物
【作者】左京大夫道雅(さきょうのだいぶまちまさ)
【性別】男性歌人
【職業】上級官人(現代職業:エリート官僚)
【生年】992年(正暦3年)
【享年】1054年8月25日(天喜2年7月20日)
左京大夫道雅(さきょうのだいふみちまさ)は、藤原道雅(ふじわらのみちまさ)ことで平安時代中期の人物です。祖父は関白の藤原道隆(ふじわらのみちたか)で、父は藤原伊周(ふじわらのこれちか)、そして54番の歌人・儀同三司母(ぎどうさんしのはは)は、祖母にあたります。
幼いころは愛情たっぷりに育てられますが、祖父が亡くなり父が第65代・花山(かざん)天皇へ弓を放った不敬事件を起こした事で一家は没落してしまいました。この背景には、藤原道長との権力争いがあり、道雅自身も道長への恨みから自らもトラブルを起こしアンラッキーな人生をおくることになります。
そんな中で、当子内親王との恋愛が世間にバレて、リストラされて左京大夫という仕事に就きました。晩年は、和歌に親しみ63歳でこの世を去りました。