せをはやみいわにせかるるたきかはの / 崇徳院

1字決まり
スポンサーリンク

百人一首

【原 文】瀬をはやみ岩にせかるる滝川のせをはやみいわにせかるるたきかはの  われても末に逢はむとぞ思ふわれてもすゑにあはむとそおもふ

【上の句】瀬をはやみ岩にせかるる滝川の(せをはやみいわにせかるるたきかはの)

【下の句】われても末に逢はむとぞ思ふ(われてもすゑにあはむとそおもふ)

【決まり字】1字決まり「せ」

超現代語訳

無理なんだ今は。でも時が流れたら、必ず君に会いに行くよ。約束する!

歌のポイント

  • みんなが憧れちゃうとってもロマンティックな恋の歌
  • 島流しという悲しい運命が待ち受けていた天皇が詠んだ歌
  • 一字決まり「せ」の歌

歌の情景

この歌は、何者かによって引き裂かれた切ない恋を情熱的に詠みあげています。今は叶わぬ想いであっても、時が経過したら必ず会いに行くと強い気持ちを歌にしています。
壮絶な人生を激しさが、歌からもすでに読み取れるような強い決意を感じます。

語意

【瀬をはやみ】川の流れが速いので。
【岩にせかるる】岩にせきとめられる。
【滝川】急流のこと。
【われても】割れても。
【すゑに】将来。行く末。
【逢はむとぞ思ふ】必ず会いたいと思っている。

歌の分類

【歌集】詞花和歌集
【歌仙】-
【テーマ】恋の歌
【50音】せ音

歌を詠んだ人物

【作者】崇徳院(すとくいん)
【性別】男性歌人
【職業】天皇(現代職業:天皇)
【生年】1119年7月7日(元永2年5月28日)
【享年】1164年9月14日(長寛2年8月26日)

崇徳院(すとくいん)は、第75代崇徳(すとく)天皇の事で平安時代末期の悲しい運命を辿った人物です。第74代・鳥羽(とば)天皇の第1皇子として生まれました。母は美人で白河天皇のお気に入りで有名な藤原璋子(ふじわらのたまこ)です。

本当の父は白河天皇だったかもしれない説のせいで、ずっと父に嫌われていました。76番の歌人・藤原忠通が摂政としてサポートする形で、なんと5歳の幼さで天皇に即位します。しかし天皇のポジションはお飾り的なもので政治の実権はずっと父の鳥羽上皇が握っていました。

その後、今度は無理やり天皇のポジションを追われ、わずか3歳の異母弟にあたる第76代・近衛(このえ)天皇に明け渡します。全て、父・鳥羽上皇の作戦によるものでした。近衛天皇が病で亡くなると、後継者争いから保元の乱が起こり、崇徳院は負けて流罪となり讃岐(香川県)に島流しになります。その9年後に46歳でこの世を去りました。歌会を開いたり詞花和歌集(しかわかしゅう)の作成を命じたりと和歌に夢中だった一面が伺え、勅撰集に77首収められています。