百人一首
【原 文】ほととぎす鳴きつる方をながむれば ただ有明の月ぞ残れる
【上の句】ほととぎす鳴きつる方をながむれば(ほとときすなきつるかたをなかむれは)
【下の句】ただ有明の月ぞ残れる(たたありあけのつきそのこれる)
【決まり字】1字決まり「ほ」
超現代語訳
ほととぎすが鳴いたから、外見たんだけどね、月しか見れなかったんだ。残念っ。
歌のポイント
- 「有明の月」、他の歌と混乱するけど、絶対に覚えたい1字決まり「ほ」の歌
- 数少ない夏の歌
- 百人一首の撰者・藤原定家のいとこの歌
歌の情景
この歌は、「暁に聞く郭公(あかつきにきくほととぎす)」をテーマに詠まれた歌です。平安時代は、毎年夏になるとホトトギスの透き通った第一声を聞くのがステータスとされていました。ほととぎすが鳴いていて、急いで姿を探したけれど、そこにはもう月しか見えなかったというちょっと寂しい気持ちを詠みあげています。
語意
【ほととぎす】鳥。初夏に南から渡来してくる。「初夏」を伝える鳥として有名。
【鳴きつる方】今、鳴いた方角。
【ながむれば】ながめると。
【有明の月】夜が明けても空に見える月。
【月ぞのこれる】月が残っている。「ぞ」は強意の係助詞。
歌の分類
【歌集】千載和歌集
【歌仙】-
【テーマ】夏の歌
【50音】ほ音
歌を詠んだ人物
【作者】後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)
【性別】男性歌人
【職業】公卿(現代職業:政府役人)
【生年】1139年(保延5年)
【享年】1192年2月1日(建久2年閏12月16日)
後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)は、平安時代後期から鎌倉時代初期を生きた人物で、左大臣・藤原実定(ふじわらのさねさだ)の事です。右大臣・藤原公能(ふじわらのきんよし)の子で、徳大寺左大臣・藤原実能(ふじわらのさねよし)の孫で、区別するために後徳大寺左大臣と呼ばれました。そして祖父・実能が京都の衣笠(現在の京都市北区)に徳大寺を建てたことから、徳大寺と呼ばれています。
百人一首の撰者で、97番の歌人・藤原定家(ふじわらのていか)は、母方のいとこになります。
第76代・近衛(このえ)天皇の時代から天皇家に仕えました。仕事が上手く行っていない時には、和歌に集中し、色々と大変な時期もありましたが左大臣のポジションまで出世しました。
勅撰集に73首収められています。