百人一首
【原 文】いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな
【上の句】いにしへの奈良の都の八重桜(いにしへのならのみやこのやへさくら)
【下の句】けふ九重に匂ひぬるかな(けふここのへににほひぬるかな)
【決まり字】2字決まり「いに」
超現代語訳
昔、平城京で咲いていた桜が、今日は平安京でより美しく咲き誇っているわ
歌のポイント
- 桜が咲き誇っている光景をイメージできる気分の良い歌
- 「いに けふこ」で覚える
- とんでもない緊張感に包まれながら詠みあげた華麗な歌
歌の情景
この歌は、皇室への献上品である桜の受取を紫式部に命じられ、さらに藤原道長にも桜をテーマに歌を詠めと命じられ、スピーディーに詠みました。
当時、皇室で働きはじめたばかりの伊勢大輔のマナーや歌のテストを兼ねて命じられたようです。緊張の中で詠みあげた華麗な歌は、藤原彰子をはじめ周囲の人々から大絶賛され、紫式部と道長からの厳しい目を見事にクリアしました。
語意
【いにしえ】昔 過ぎ去った時代
【奈良の都】710年・元明(げんみょう)天皇から794年・光仁(こうにん)天皇までの首都・平城京
【八重ざくら】桜の品種のひとつで、花が大きく花弁が重なった桜
【けふ】今日 いにしえと対照させた言葉
【九重】宮中・皇居 八重と対照し、それ以上にの意味
【にほひぬるかな】美しく咲き誇っている 「にほひ」は桜の香りではない。「ぬる」は完了の助動詞「ぬ」の連体形 「かな」は感動の終助詞
歌の分類
【歌集】詞花和歌集
【歌仙】-
【テーマ】春の歌
【50音】い音
歌を詠んだ人物
【作者】伊勢大輔(いせのたいふ)
【性別】女性歌人
【職業】女房(現代職業:キャリアウーマン)
【生年】989年(永祚元年)頃?
【享年】1060年(康平3年)頃?
伊勢大輔(いせのたいふ)は、平安時代中期の人物で、49番の歌人・大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)の孫で、伊勢神宮の祭主・輔親(すけちか)の娘です。父親が伊勢神宮の祭主だったことから、伊勢大輔と呼ばれています。
一条天皇の奥さんである藤原彰子の元で働き、紫式部や和泉式部らともとっても仲良しのいい関係でした。晩年は、第72代白河天皇の教育係としても活躍しました。
プライベートでは、役人の高階成順(たかしなのなりよし)と結婚し、優れた歌人である康資王母・筑前乳母・源兼俊母らの母となりました。夫の死後は出家し、70歳でこの世を去りました。勅撰集に51首の歌が収められています。