百人一首
【原 文】秋の田のかりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ
【上の句】秋の田のかりほの庵の苫をあらみ(あきのたのかりほのいほのとまをあらみ)
【下の句】わが衣手は露にぬれつつ(わかころもてはつゆにぬれつつ)
【決まり字】3字決まり「あきの」
超現代語訳
うわっーーー!冷たっ!!寒っ!!
田んぼの近くに建てた小屋の屋根がショボイから夜つゆで、服が濡れちゃったじゃないかー。
歌のポイント
- 「の」音のリズムで覚える
- 一番目の歌人なので、絶対に覚えておきたい一首
- 天皇だからこそ、国を支えてくれている農民の気持ちに寄り添って詠んだ優しい歌
歌の情景
この歌は、米を収穫する秋に、農民の苦労の気持ちを詠んだ歌です。
たわわに実った稲を刈り取る直前に、鳥や獣などに田んぼを荒らされないように、仮の小屋を田んぼに建てて、寒く一人寂しい夜の様子です。
かりほ・苫・あらみから、とても粗末な小屋で、収穫までの夜を農民は過ごしたと考えられます。
語意
【かりほ】仮の庵(いほ)のこと・刈る稲 掛詞になっている
【庵(いほ)】草や木など植物で作った簡単な建物
【苫(とま)】カヤやワラなどを材料にして屋根や壁にしたもの
【あらみ】形容詞「粗し」の語幹に「み」がついて「粗いので」という意味になる
【衣手】着物の袖
【つつ】同じ様子が繰り返される事を表す
歌の分類
【歌集】後撰和歌集
【歌仙】-
【テーマ】秋の歌
【50音】あ音
歌を詠んだ人物
【作者】天智天皇(てんちてんのう)
【性別】男性歌人
【職業】天皇(現代職業:天皇)
【生年】626年 (推古天皇34年)
【享年】672年1月7日 (天智天皇10年12月3日)
天智天皇(てんじ・てんぢてんのう)は、第38代天皇で日本で最初の元号となった「大化」の改新を成し遂げた中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)です。
父・第34代天皇の舒明天皇(じょめいてんのう)と母・第35代・37代天皇の皇極天皇(こうぎょくてんのう)の第二皇子として生まれました。
奥さんは、異母兄の古人大兄皇子(ふるひとのおおえのみこ)の娘・倭姫王(やまとひめのおおきみ)です。つまり姪っ子と結婚しました。
中臣鎌足(なかとみのかまたり)とタッグを組み、日本初のクーデターとなった乙巳の変(いっしのへん)を起こし、なんと母親の目の前で蘇我氏を滅ぼすという過激な出来事を起こしました。
蘇我氏亡きあとは、それまでの豪族による政治から天皇を中心とした政治を行い、日本で初めての法令「近江令(おうみりょう)」や日本で初めて戸籍を管理する「庚午年籍(こうごのねんじゃく)」を作り、中央集権国家へとリードした大化の改新を行いました。
良い感じな政治だけではなく、白村江(はくそんこう)の戦いでは残念ながら唐(当時の中国の一部)・新羅(当時の朝鮮半島の一部)連合軍に負けています。
ずっと皇太子として活躍していましたが、近江大津宮(おうみおおつのみや・現在の大津市)へ都を遷し、第38代天皇として即位しました。
倭姫王(やまとひめのおおきみ)以外にもたくさんの女性と結婚し、たくさん子供がいます。2番目の歌人で第41代天皇の持統天皇は、天智天皇の娘です。
また日本最古の和歌集「万葉集」にも4首の歌がエントリーされており、様々な政治改革を行う一方で、日本初の水時計を作ったりと文化的でインテリな方だったようです。