百人一首
【原 文】世の中よ道こそなけれ思ひ入る 山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
【上の句】世の中よ道こそなけれ思ひ入る(よのなかよみちこそなけれおもひいる)
【下の句】山の奥にも鹿ぞ鳴くなる(やまのおくにもしかそなくなる)
【決まり字】5字決まり「よのなかよ」
超現代語訳
生きるって大変だよね。鹿だって大変なんだから、ボクたち人間はもっと過酷だね。
歌のポイント
- ズバリ!人生に逃げ道はない!と教えてくれている歌
- 道で迷子になった訳ではない歌
- 百人一首の撰者・藤原定家のパパの歌
歌の情景
この歌は、「鹿」をテーマに不運や落ちぶれた様子をまとめた述懐百首のために詠んだ歌です。
当時は深い悩みや悲しみの救いを仏教に求めて出家する人が多い時代でした。この世の中で生きて行くことは辛いから、山奥に入り癒しを求めたけれど、鹿の寂しい声が聞こえ人生には逃げ道がないと歌い上げています。
語意
【世の中よ】この世というものは。
【道こそなけれ】他に方法はない。逃げる道はない。「こそ」は強意の係助詞。「なけれ」は形容詞「なし」の已然形。
【思ひ入る】思ひこむ意味と山に入るの意味をかけている。
【山の奥にも】「に」は場所を示す格助詞。「も」は並列を表す係助詞。
【鹿ぞ鳴くなる】鹿が鳴いている。「ぞ」は強意の係助詞。「なる」は推定を表す助動詞「なり」の連体形。
歌の分類
【歌集】千載和歌集
【歌仙】-
【テーマ】雑の歌
【50音】よ音
歌を詠んだ人物
【作者】皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり)
【性別】男性歌人
【職業】上級官人(現代職業:エリート官僚)
【生年】1114年(永久2年)
【享年】1204年12月22日(元久元年11月30日)
皇太后宮大夫俊成(こうたいごうぐうのだいぶとしなり)は、百人一首撰者・藤原定家(ふじわらのさだいえ)のお父さんにあたる人物で、平安時代後期から鎌倉時代初期に活躍しました。
10歳の頃に父・俊忠(としただ)が亡くなり、養父となった藤原顕頼(ふじわらのあきより)のサポートを受けて、美作国(みまさかのくに・現在の岡山県津山市)の地方役人からスタートし、あちこちの地方役人となりますが、そこからあまり出世できなかったために、和歌の世界へ没頭します。この頃に自分の不運を嘆き出家するか迷い、その想いを歌として表現していくようになります。この「世の中よ~」もその頃に詠まれたとされています。
和歌の伝統的な文化は75番の歌人・藤原基俊(ふじわらのもととし)から、そして和歌の新しいトレンドを74番の歌人・源俊頼(みなもとのとしより)から学び、メキメキと腕を磨き上げ二つのいい所をミックスした「二条家」歌風を作り上げ定家へと受け継がれていきました。
60歳を過ぎた頃にひどい病気に襲われ出家し、釈阿(しゃくあ)となります。その後、皇太后宮大夫のポジションを手に入れ、また歌人としても大きく羽ばたき和歌の世界で第一人者となりました。90歳になると、第82代・後鳥羽(ごとば)天皇にお誕生日会を開いてもらい、その翌年91歳で人生の幕を閉じました。