百人一首
【原 文】天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
【上の句】天の原ふりさけ見れば春日なる(あまのはらふりさけみれはかすかなる)
【下の句】三笠の山に出でし月かも(みかさのやまにいてしつきかも)
【決まり字】3字決まり「あまの」
超現代語訳
同じだよね・・・?
今ボクが長安の夜空で見ている月と、むかし奈良の三笠山に出てる月、同じなんだよねぇ
みんなとお別れは辛いけど、早く日本に帰りたいよ~
歌のポイント
- 2人目のマロ 一人目は、3番目の歌人柿本人麿(麻呂)
- 数少ない旅の歌で、最初に登場する歌
- 超スーパーインテリ遣唐使が詠んだ歌
- 唯一の国外で詠まれた歌
歌の情景
この歌は、遣唐使として大活躍した仲麿がようやく日本へ帰国する際に、お別れ会で詠んだ歌です。35年前に日本を出発するときに、旅の無事をお願いした春日大社から見えた月と今いる月は同じ月なのだとしみじみ月を眺めています。
別れは辛いけど、みんなが見てる月はこれからも日本で見れるんだ!だから早く日本に帰りたい!でもお友達との別れが辛いとセンチメンタルな気持ちを表現しています。
語意
【天の原】大空 原は広々とした様子を表す
【ふりさけ見れば】遠くを見渡している ふりは接頭語
【三笠の山】奈良にある山の名前で麓に春日大社がある 御蓋山とも
【出でし月かも】月が出てる 「し」は、過去の助動詞で「き」の連体形
「かも」は詠嘆を表す終助詞
歌の分類
【歌集】古今和歌集
【歌仙】-
【テーマ】旅の歌
【50音】あ音
歌を詠んだ人物
【作者】安倍仲麿(あべのなかまろ)
【性別】男性歌人
【職業】官人/遣唐使(現代職業:官僚)
【生年】698年(文武天皇2年)または701年(大宝元年)
【享年】770年1月( 宝亀元年)
安倍仲麿は、奈良時代に大活躍した遣唐使です。百人一首以外では阿部仲麻呂と書かれています。698年、貴族・阿倍船守の長男として現在の奈良県である大和国に生まれました。幼い頃から超スーパーインテリで16歳で遣唐使としてデビューします。その出発の際に、三笠山の麓にある春日大社で無事を祈り、吉備真備(きびのまきび)、玄昉(げんぼう)らと共に中国へと717年に旅立ちました。中国の高度な教育期間で、儒学や法律など様々な学問を誰よりも熱心に学びさらに高い知識をどんどん身に着けていきました。
そして、中国でも難関といわれるエリート官僚・科挙(かきょ)というポジジョンまで手に入れました!あまりにも優れた頭脳をもった仲麿は、当時に中国のリーダー玄宗皇帝の超お気に入り人物となり、日本への帰国のチャンスを何度となく逃してしまいます。
753年、日本を旅立ってから36年の月日が流れた時に、またとない帰国のチャンスが訪れます。あの唐招提寺を建てた鑑真と一緒に日本へ行くことになったのです。その際に中国の友達がお別れ会を開いてくれて、詠んだ歌が「天の原~」でした。しかし、仲麿の乗った船は嵐に遭い、なんと日本ではなくベトナムへと流されてしまったのです。その後、日本へ戻ることなく再び中国で官僚として働き、770年に亡くなりました。