百人一首
【原 文】陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに 乱れそめにしわれならなくに
【上の句】陸奥のしのぶもぢずりたれゆえに(みちのくのしのふもちすりたれゆゑに)
【下の句】乱れそめにしわれならなくに(みたれそめにしわれならなくに)
【決まり字】2字決まり「みち」
超現代語訳
ワタシのせいじゃないよ!アナタのせい。
アナタのせいで、ワタシの心はもぢずり模様のように、乱れにみだれまくっているの
歌のポイント
- 源氏物語に登場する光源氏のモデルとなったイケメンセレブが詠んだ歌
- 決して結ばれることのない切な過ぎる恋の歌
- 相手の女性の立場から詠んだ思わせぶりな恋の歌
歌の情景
この歌は、当時人気だった草木染めの乱れ模様のように、恋によって乱れに乱れてしまった心を詠んだ歌です。
作者は男性ですが、決して結ばれることのない恋で病に伏せってしまった相手の女性の立場から詠んだとされる、なんとも思わせぶりな歌です。
語意
【みちのくの】現在の東北地方
【しのぶもぢずり】現在の福島県信夫(しのぶ)地域の名産品 乱れ模様の着物の生地
【たれゆゑに】誰かのせいで
【乱れそめにし】乱れ染めを「乱れ初め」にかけている。そめにしは、染めてしまった。「に」は、完了の助動詞「ぬ」の連用形。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形
【我ならなくに】私ではない。「に」は、詠嘆の助詞
歌の分類
【歌集】古今和歌集
【歌仙】-
【テーマ】恋の歌
【50音】み音
歌を詠んだ人物
【作者】河原左大臣(かわらのさだいじん)
【性別】男性歌人
【職業】公卿(現代職業:政府役人)
【生年】822年(弘仁13年)
【享年】895年9月17日(寛平7年8月25日)
河原左大臣は、源氏物語の主人公・光源氏のモデルとなったとされている源融(みなもとのとおる)です。平安時代初期の貴族で、第52代嵯峨(さが)天皇の12番目の皇子として生まれました。しかし当時は藤原氏の力が大きく影響していたのか、残念なことに皇位継承権は認められず天皇に仕える政府役人として働きます。
864年に現在の福島県である陸奥信夫に地方を監督するポジションの按察使(あぜち)として源融がやってきたのです。イケメンの融は、さっそく村の娘と恋に落ちますが、身分の違い、そして融はまた京都に呼び戻されてしまい、二人の恋は叶うことなく時は流れます。その時に詠んだ歌が「」みののくの~」です。その時、村の娘は叶わぬ恋に病に伏りました。
その後、藤原氏と大伴氏が争ったとされる応天門の変(おうてんもんのへん)など政治トラブルがある中でも順調にエリートコースを突き進んでいましたが、13番目の歌人・第57代陽成天皇が即位すると藤原基経(ふじわらのもとつね)が融よりも偉い摂政として大きな力を持ち始めたために仕事を辞めてヒッキーとなりました。
それから15番目の歌人・第58代光孝天皇が即位すると、また政府役人として働きました。ゴージャスなプライベートでも有名で、融は京都の六条河原に広大なマイホーム「河原の院」(かわらのいん)に住んでいました。そこから、河原の左大臣とも呼ばれています。