百人一首
【原 文】人はいさ心も知らずふるさとは 花ぞ昔の香に匂ひける
【上の句】人はいさ心も知らずふるさとは(ひとはいさこころもしらすふるさとは)
【下の句】花ぞ昔の香に匂ひける(はなそむかしのかににほひける)
【決まり字】3字決まり「ひとは」
超現代語訳
梅の花は、昔と変わらずに私を迎えてくれている。何も変わらない。
変わるのは、人の心だけなのかもね。
歌のポイント
- 和歌のスーパーレジェンドが詠んだ歌
- 人の心は変わってしまい、わからないとわざわざ梅の花を折って詠んだ歌
- 「土佐日記」を書いた男が詠んだ歌
- 「春」の歌だけど嫌味を言われて、さらに嫌味で返した時の歌
歌の情景
この歌は、久しぶりに訪れたホテルで嫌味っぽく「ずいぶん久しぶりでしたね!」と、言われた際に、さらに嫌味で返した時に詠んだ歌です。わざわざ梅の花を折って、梅の花は昔と変わらずにボクを迎えてくれているのに、どーして此処のホテルの人の心は、こんなにも変わるのか?とクールに反撃している感情を歌にしました。
語意
【人】ここではホテルの主人
【いさ】どうだろうか?わからない
【心も知らず】心は知るはずがない 人の心は変わってしまう
【ふるさと】ここでは、生まれ育った故郷ではなく、以前訪れた場所
【花ぞ】梅の花 「ぞ」は強めの係助詞
【香ににほひける】咲き誇っている 「ける」は感動の助動詞で「けり」の連体形
歌の分類
【歌集】古今和歌集
【歌仙】三十六歌仙
【テーマ】春の歌
【50音】ひ音
歌を詠んだ人物
【作者】紀貫之(きのつらゆき)
【性別】男性歌人
【職業】官人(現代職業:官僚)
【生年】866年(貞観8年)または872年(貞観14年)
【享年】945年6月30日(天慶8年5月18日)
紀貫之は、平安時代前期から中期に大活躍していた日本を代表する歌人で、官僚です。父は紀望行(きのもちゆき)です。母の影響で、幼い頃の名前は阿古久曽(あこくそ)でした。これは、子どもがきちんと成人するまで健康で成長する事を願って付けられた名前です。
若き頃から、歌会に参加しその才能を広く知られるようになり、第60代・醍醐(だいご)天皇の命令により「古今和歌集」を作るメンバーに選ばれます。貫之の「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」でスタートする古今和歌集は、その後に和歌の世界に大きな影響を与えました。
歌人としては超一流でしたが、仕事はまあまあで、土佐(現在の高知県)の国の役人になります。約4年間の土佐の生活を終えて京へ帰ったあとに日本初の日記文学「土佐日記」を書き、日本の女流文学に大きな影響を与えました。