百人一首
【原 文】玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば 忍ぶることの弱りもぞする
【上の句】玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば(たまのをよたえなはたえねなからへは)
【下の句】忍ぶることの弱りもぞする(しのふることのよはりもそする)
【決まり字】2字決まり「たま」
超現代語訳
この恋がバレちゃうなら、いっそ死んでもいいの。
歌のポイント
- みんなに絶対内緒の恋の歌
- 藤原定家の彼女だったかもしれない皇女の歌
- 恋心がバレちゃうなら「死んでもいい!」と歌った激しい恋の歌
歌の情景
この歌は、誰にも気付かれないように内緒にしている恋心を情熱的に歌い上げてた歌です。秘密にしている恋の苦しみは日々募るばかりで、このままだとこの恋心は隠し通せずに周囲にバレてしまうから、いっそ死んじゃってもいい!と詠んでいます。「忍ぶ恋」をテーマに詠まれた歌ですが、きっと皇女としての立場ならでの恋の苦しみがあったと思われます。
語意
【玉の緒よ】命。通常は、玉をつらぬく「緒(ひも)」をさすが、同音の魂をつなぎ止める緒を意味し、命となる。
【絶えなば絶えね】絶えてしまうなら絶えてしまえ。
【ながらへば】生きていたならば。
【忍ぶること】我慢すること。耐え忍ぶこと。
【弱りもぞする】弱ってしまうと困るから。
歌の分類
【歌集】新古今和歌集
【歌仙】-
【テーマ】恋の歌
【50音】た音
歌を詠んだ人物
【作者】式子内親王(しきしないしんのう)
【性別】女性歌人
【職業】内親王(現代職業:内親王)
【生年】1149年(久安5年)
【享年】1201年3月1日(建仁元年1月25日)
式子内親王(しょくしないしんのう)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の人物で、第77代・後白河(ごしらかわ)天皇の第三皇女として生まれました。11歳の頃より約10年間、賀茂神社に仕えますが病気のために辞めました。さらに当時の力を持ち政権を握っていた平氏を倒そうと兄・以仁王(もちひとおう)が立ち上がり以仁王の乱を起こしますが、失敗してしまいます。式子は関係者と疑われたことをきっかけに出家しました。
病気と乱れる世の中で、和歌の世界に心の癒しを求めて83番の歌人・藤原俊成(ふじわらのとしなり)に和歌を習いました。また俊成の子で、百人一首の撰者である97番の歌人・藤原定家(ふじわらのさだいえ)とは、恋人同士だったかもしれないといわれています。定家の残した日記「明月記(めいげつき)」には、式子内親王が定家のために、箏(こと)を弾いてあげたとも記されています。生涯、独身をつらぬき53歳でこの世を去りました。勅撰集に155首収められています。