こぬひとをまつほのうらのゆふなきに / 権中納言定家

2字決まり

百人一首

【原 文】来ぬ人を松帆の浦の夕なぎにこぬひとをまつほのうらのゆふなきに  焼くや藻塩の身もこがれつつやくやもしほのみもこかれつつ

【上の句】来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに(こぬひとをまつほのうらのゆふなきに)

【下の句】焼くや藻塩の身もこがれつつ(やくやもしほのみもこかれつつ)

【決まり字】2字決まり「こぬ」

超現代語訳

あー、あの人、約束したのに来ないわ。こんなんじゃ、私の心も体もコゲちゃうじゃない!

歌のポイント

  • 百人一首の撰者・定家の歌!
  • デートの約束をすっぽかされた歌
  • 百人一首を語るなら、絶対に覚えておきたい歌

歌の情景

この歌は、「恋の歌」をテーマに詠まれました。デートの約束をしたのに来ない相手を待ち続け、恋焦がれる気持ちを松帆海岸で藻塩を焼く女性の立場で詠んでいます。夕なぎの時間は無風状態であることから、藻塩を焼いている煙は天に上るだけで相手には届かないというなんとも切ない情景をも隠し持っています。「待つ」と「松」、そして「身」と「藻塩」が焦がれるの掛詞は、現代の私たちにも分かりやすくすぐにイメージ出来る情景となっています。

語意

【来ぬ人】約束をしたのに、来ない恋人。
【まつほの浦】淡路島の北端にある松帆の浦。歌枕。「松」と「待つ」が掛詞。
【夕なぎ】夕方に海岸付近で海風と陸風が交替する無風状態の事。朝なぎの反対。
【焼くや藻塩の】焼く藻塩ではないが。「や」は語調を整えている。「藻塩」は海藻を焼いて水に溶かして、煮詰めて作る塩。
【身もこがれつつ】塩が焼かれるように、身も心も恋焦がれ続けている。「こがれ」は、藻塩が焼けると思い焦がれるの掛詞。焼くの縁語。「つつ」は、反復・継続の意味。

歌の分類

【歌集】新勅撰和歌集
【歌仙】-
【テーマ】恋の歌
【50音】こ音

歌を詠んだ人物

【作者】権中納言定家(ごんちゅなごんさだいえ)
【性別】男性歌人
【職業】上級官人(現代職業:エリート官僚)
【生年】1162年(応保2年)
【享年】1241年9月26日(仁治2年8月20日)

権中納言定家(ごんちゅうなごんさだいえ)は、藤原定家(ふじわらのさだいえ)のことで、平安時代末期から鎌倉時代初期に大活躍した人物です。テイカとも呼ばれます。父は・83番の歌人で皇室で働いていた藤原俊成(ふじわらのとしなり)で、母は源氏物語とこよなく愛した美福門院加賀(びふくもんいんのかが)です。

幼い頃より両親の影響を受けて、源氏物語を読み、和歌へ情熱的に取り組みました。父と同じく皇室に仕え働きますが、いつも仕事よりも和歌に熱心に打ち込んでいたようです。ある時、皇室のイベント新嘗祭にて源雅行(みなもとのまさゆき)にバカにされたとして騒ぎを起こすほどに短気な性格の持ち主でもありました。謹慎処分を受けますが、父・俊成のサポートがあり許してもらえました。

その後は九条家に仕えながら和歌の腕前をどんどん磨き上げていきます。91番の歌人・九条良経や95番の歌人・慈円らと和歌を通じて仲良くなっていきました。その頃、第82代後鳥羽(ごとば)天皇は、定家の和歌の才能にいち早く気付き歌人として高く評価してくれました。歌会にも度々招かれ、「新古今和歌集」の撰者としても活動しました。

歌人としても皇室に仕える役人としても恵まれた定家でしたが、後鳥羽天皇に仕事のグチを言ってしまった事で、超ブチキレられてしまい、歌人としても役人としても立場を失う事となってしまいました。それでも定家は一人で和歌に打ち込みます。そんなある日、後鳥羽天皇が承久の乱を起こし、隠岐の島へと島流しになってしまいました。定家は幸いにも、後鳥羽天皇から嫌われていた身だったので、その後は権中納言というポジションをゲットし役人として復活しました。

晩年は、権中納言をやめて歌人としての活動に専念し、新勅撰和歌集の撰者となりました。そんなある日、定家の友人で、三男・為家(ためいえ)の奥さんの父でもある宇都宮頼綱(うつのみやよりつな)から、京都小倉山荘のインテリアデザインを考えて欲しいと頼まれます。そこで、定家が考えたのが、百人一首でした。歴代の歌人の詠んだ和歌を襖絵にしたのです。定家好みの歌100首は、現代でも多くの人に愛される存在となっています。

他にも、35番の歌人・紀貫之(きのつらゆき)の「土佐日記」57番の歌人・紫式部の「源氏物語」を手書きで写し、後世へと伝えてくれました。プライベートでは、18歳の時から74歳までの出来事を綴った日記「明月記(めいげつき)」があり、国宝に指定されています。和歌に人生を捧げ80歳で天国へと旅立ちました。