ももしきやふるきのきはのしのふにも / 順徳院

2字決まり
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百人一首

【原 文】百敷や古き軒端のしのぶにもももしきやふるきのきはのしのふにも  なほ余りある昔なりけりなほあまりあるむかしなりけり

【上の句】百敷や古き軒端のしのぶにも(ももしきやふるきのきはのしのふにも)

【下の句】なほ余りある昔なりけり(なほあまりあるむかしなりけり)

【決まり字】2字決まり「もも」

超現代語訳

あーあ、草ボーボーじゃん!昔は良かったんだよねー。懐かしいなー。

歌のポイント

  • ラスト100番目のとっても意味ありげな歌
  • 承久の乱で敗れて、佐渡が島に島流しになった天皇の歌
  • 何でもイケイケの若者なのに、すでに昔を思い出している年寄りくさい歌

歌の情景

この歌は、貴族の世から武士の世に移り変わる時代を背景に詠まれた歌です。かつては輝いていた宮中の様子はあまりにサビれてしまい、草がボーボーに生え荒れた場所になっていました。昔は良かったなぁと貴族による政治、そして貴族の文化を懐かしみながら、そのあまりにも切ない様子を詠みあげています。

語意

【ももしきや】宮中のこと。「や」は、感動の助詞。
【古き軒端】古びた軒端。軒端は、家の壁よりも屋根が飛び出している部分。
【しのぶにも】荒れた土地に生える「しのぶ草」と昔を懐かしむ「昔をしのぶにも」の掛詞。
【なほ】それでも。やっぱり。
【あまりある】いくらしのんでもしのびきれない。
【昔なりけり】「昔」は、朝廷に力があり、政治を行っていた時代。「なり」は断定、「けり」は詠嘆の助動詞。

歌の分類

【歌集】続後撰和歌集
【歌仙】-
【テーマ】雑の歌
【50音】も音

歌を詠んだ人物

【作者】順徳院(じゅんとくいん)
【性別】男性歌人
【職業】天皇(現代職業:天皇)
【生年】1197年10月22日(建久8年9月10日)
【享年】1242年10月7日(仁治3年9月12日)

順徳院(じゅんとくいん)は、第84代・順徳天皇のことです。99番の歌人で、第82代後鳥羽天皇の第三皇子として生まれました。母は藤原重子(ふじわらのじゅうし)です。小さい頃から何事にも積極的に取り組み、さらに聡明で父・後鳥羽天皇のお気に入りでした。

97番の歌人・藤原定家(ふじわらのさだいえ)に和歌を習い、なかなかの腕前となります。この「ももしきや~」の歌も、かつての貴族による政治に思いを馳せて詠まれた歌となっています。

鎌倉幕府とのいろんな意味でのいい関係を築き上げるために、後鳥羽天皇の強い希望によりのんびり屋で温厚な性格の兄の第83代・土御門天皇(つちみかどてんのう)を退位させて、割と何でもイケイケな順徳天皇は14歳で天皇に即位しました。およそ10年間天皇として頑張りましたが、父と一緒に鎌倉幕府を倒すために天皇を辞めて子の懐成親王(かねなりしんのう)を第85代・仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)として即位させました。

残念ながら承久の乱は、大失敗に終わり佐渡島(さどがしま)へ流されてしまいました。倒幕の意志は後鳥羽天皇よりも強かったとされています。佐渡島で20年過ごし、京の都に戻ることなく46歳で人生を終えました。