百人一首
【原 文】世の中は常にもがもな渚漕ぐ 海人の小舟の綱手かなしも
【上の句】世の中は常にもがもな渚漕ぐ(よのなかはつねにもかもななきさこく)
【下の句】海人の小舟の綱手かなしも(あまのおふねのつなてかなしも)
【決まり字】5字決まり「よのなかは」
超現代語訳
何も変わらないと良いよね。ほら、あの漁師の姿、よくない?めっちゃ良いでしょ!
歌のポイント
- 和歌と蹴鞠が大好きで貴族文化に憧れた悲劇の若き将軍の歌
- 日々変わりゆく動乱の中で、みんなにとっての穏やかな日常を願った歌
- 武士として初めて右大臣になった男の歌
歌の情景
この歌は、人々の何気ない日々の幸せが続き、世の中の平和を願い詠まれた歌です。イキイキと海で漁をする漁師たちはエネルギッシュにみえ、その姿を歌いあげています。武士として初めて政権を握った源頼朝の子に生まれますが、日々繰り広げられる争いを見て、嫌気が差していたものと思われます。華やかな貴族文化に憧れを抱き、世の全ての人々が穏やかな日常を過ごすことを願った優しい心の持ち主の歌です。
語意
【世の中は】この世の中は。
【常にもがもな】いつも変わらないものであってほしい。
【なぎさこぐ】波打ちぎわ。
【あまの小舟】漁師の小さな舟。
【綱手】引き網。舟の先端につけて引く網。
【かなしも】心に響く。心に惹かれる。「も」は詠嘆の終助詞。
歌の分類
【歌集】新勅撰和歌集
【歌仙】-
【テーマ】旅の歌
【50音】よ音
歌を詠んだ人物
【作者】鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)
【性別】男性歌人
【職業】公卿(現代職業:政府役人)
【生年】1192年9月17日(建久3年8月9日)
【享年】1219年2月13日(建保7年1月27日)
鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)は、鎌倉時代前期に活躍した鎌倉幕府第3代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)の事です。父・源頼朝(みなもとのよりとも)と母・北条政子(ほうじょうまさこ)の次男として生まれました。父・頼朝が亡くなると兄・頼家(よりいえ)が将軍となりました。
しかし頼家側をバックアップしていた比企一族が将軍家を乗っ取ろうと企んだために、頼家と比企一族を伊豆国(いずのくに・現在の静岡県三島市)に追放します。12歳で鎌倉幕府第3代将軍となった実朝ですが、政治の実権は北条氏が握っていました。武士でありながら、貴族の文化に憧れ和歌や蹴鞠に夢中になる日々を過ごします。百人一首の撰者・藤原定家(ふじわらのさだいえ)から古今和歌集をプレゼントされ、定家に歌を習いました。
世の中は、すでに北条氏によって支配されており、自分を最期に頼朝の血が途絶えてしまうと思っていた実朝は、朝廷に昇進を願い出て「右大臣」のポジションを手に入れ、源氏の名前を残そうと必死に頑張りました。右大臣となりその報告で鶴岡八幡宮を訪れた帰りに兄・頼家の子・公暁(くぎょう)に「親の敵はかく討つぞ」と、襲われ、28歳の若さでこの世を去ります。雪の降りしきる寒い日の出来事でした。勅撰集に92首収められています。