百人一首
【原 文】わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと 人には告げよ海人の釣船
【上の句】わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと(わたのはらやそしまかけてこきいてぬと)
【下の句】人には告げよ海人の釣船(ひとにはつけよあまのつりふね)
【決まり字】6字決まり「わたのはらや」
超現代語訳
ま、行ってくるさ。
ちょっと、そこの舟よ、「リストラ先の隠岐の島へ出発した」と、ハニーに伝えてくれないか?
歌のポイント
- 2首ある「わたの原」の1首目
- もしかしたら、アニメ「おじゃる丸」のモデルとなった人物の歌
- クールな感じを演出しつつも、リストラされて寂しさを隠しきれずに”舟”に呼びかけちゃったハッタリの歌
歌の情景
この歌は、遣唐副使として中国に行くはずだったのに、とあるトラブルで中国行きをドタキャンして、第52代嵯峨(さが)天皇をに怒られてリストラされた時に詠んだ歌です。
強がっていてハッタリ感たっぷりなクールな演出をしているけど、やっぱり悔しくって悲しくって、愛する人との別れが悲しくって、その想いを誰にも言えずにあえて”舟”に呟いた様子を歌っています。「行ってきます!」と伝えたかった相手は、愛する恋人、そして母親と言われています。
語意
【わたの原】広い海
【八十島】多くの島々「八十」は数多くの
【かけて】目指して
【こぎ出でぬ】こぎ出した 「ぬ」は完了の助動詞
【人には】京にいる親しい人 ここでは、愛するハニー
【海人のつり舟】漁師の乗る舟
歌の分類
【歌集】古今和歌集
【歌仙】三十六歌仙
【テーマ】旅の歌
【50音】わ音
歌を詠んだ人物
【作者】参議篁(さんぎたかむら)
【性別】男性歌人
【職業】上級官人(現代職業:エリート官僚)
【生年】802年(延暦21年)
【享年】853年2月3日(仁寿2年12月22日)
参議篁(さんぎたかむら)の本名は、小野篁(おののたかむら)で、平安時代初期に大活躍した超エリート官僚です。父・小野岑守(おののみねもり)の長男で、あの遣唐使で有名な小野妹子の子孫にあたる名門一家に生まれ、世界三大美女と称された9番目の歌人・小野小町は篁の孫にあたるとされています。
父親の仕事の関係で陸奥国(むつのくに:現在の青森・岩手・宮城・福島)で過ごし、武芸に夢中になりすぎたやんちゃな少年時代を過ごします。再び京の都に戻ってきた頃、第52代嵯峨(さが)天皇は、あんなにも優秀な頭脳を持っていたにもかかわらず勉強を疎かにし武芸に明け暮れた篁の姿を見てガッカリし呆れられてしまいます。
天皇をガッカリさせた篁はショックを受け、そこから猛勉強をし834年に遣唐副使に任命されます。しかし2度の悪天候によりなかなか中国へ渡れず、ようやく3度目にチャンスが訪れます。なのに、なんとリーダーの藤原常嗣(ふじわらのつねつぐ)と喧嘩をしてしまったのです。理由は、篁が乗る船はずだったイケている船と、常嗣が乗るはずだった壊れた船を取り替えたことに不満を持ち、中国行きをドタキャンしちゃったのです。
とにかく理由をつけて、中国行きを辞めた篁は、天皇の命令に逆らったとされ、リストラされたのです。このリストラこそが、隠岐の島への島流しで、「わたの原~」を詠んだ時になります。840年、あまりに頭脳明晰だった篁は、なんとか罪を許されエリート官僚として大活躍し、51歳で生涯を閉じました。篁には、昼間はエリート官僚として働き、夜は閻魔大王の元で働いているという不思議な伝説が残されています。