百人一首
【原 文】嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は いかに久しきものとかは知る
【上の句】嘆きつつひとり寝る夜の明くる間は(なけきつつひとりぬるよのあくるまは)
【下の句】いかに久しきものとかは知る(いかにひさしきものとかはしる)
【決まり字】3字決まり「なけき」
超現代語訳
ぜんぜん、わかってないよね?
アナタを待つ、夜の長さも、私の寂しい気持ちも
歌のポイント
- 「蜻蛉日記」の作者が詠んだ待つことしか出来ない切ない女の歌
- しぼんだ菊の花と一緒に届けられたかなり嫌味な歌
- 100人の中で、二人いる「母」の一人目
歌の情景
この歌は、自分以外の妻の元へ通う夫・藤原兼家(ふじわらのかねいえ)が、久しぶりにやってきた時に嫉妬心をいっぱいに詠みあげた歌です。
当時は一夫多妻制だったことから、他にも妻がたくさんいて、自分の所にはなかなか来ない嫉妬心から会うことを拒否して、翌朝、この歌にしぼんだ菊の花を添えて届けたというエピソードが残っています。
語意
【嘆きつつ】嘆きながら
【ひとりぬる夜】一人で寂しく寝る夜
【明くるまは】夜が明けるまでの時間
【いかに久しきものと】どれだけ長く待ち遠しいものか。「久しき」は「久し」の連体形
【かはしる】「かは」は反語 「か」は疑問 「は」は強調 知っているのだろうか?
歌の分類
【歌集】拾遺和歌集
【歌仙】-
【テーマ】恋の歌
【50音】な音
歌を詠んだ人物
【作者】右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)
【性別】女性歌人
【職業】女房(現代職業:キャリアウーマン)
【生年】936年(承平6年)
【享年】995年6月2日(長徳元年5月2日)
右大将道綱母(うだいしょうみちつなはは)は、平安時代中期を生きた人物で、藤原倫寧(ふじわらのともやす)の娘、そして摂政として活躍した藤原兼家(ふじわらのかねいえ)の奥さんです。
道綱(みちつな)の母親であることから、「道綱母」と名乗っていますが本当の名前は分かっていません。当時は一夫多妻制の結婚スタイルだったことから、兼家の他の奥さんに嫉妬してこの「嘆きつつ」を詠みました。
美人だったことでも有名な女性で、兼家との満たされない結婚生活を書き綴った「蜻蛉日記」の作者でもあります。勅撰集に36首収めされています。