百人一首
【原 文】大江山いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立
【上の句】大江山いく野の道の遠ければ(おほえやまいくののみちのとほけれは)
【下の句】まだふみも見ず天の橋立(またふみもみすあまのはしたて)
【決まり字】3字決まり「おほえ」
超現代語訳
ママのいる丹後に大江山を越えて行くのは遠いから、まだ手紙も見てないし天の橋立にも行ってないわ
歌のポイント
- 藤原定頼のいやがらせに反撃したあっぱれな歌
- 100首の中で一番掛詞がわかりやすい歌
- 美女和泉式部の娘が詠んだ歌
- 「おお(ほ)え まだ」で覚える
歌の情景
この歌は、母・和泉式部が留守にしている時に開かれた歌会で詠まれた歌です。64番の歌人・藤原定頼(ふじわらのさだより)に、歌人としても優れていた和泉式部と比較され「歌はどんな?お母さんに頼んだの?焦るよね」と嫌味を言われ即座に、母には頼んでいないときっぱりと反論した見事な歌です。その後、定頼はこの見事な歌に返事すら出来ずにその場を立ち去り、小式部の才能と美しさに改めて惚れました。
語意
【大江山】京都市右京区にある山 (大枝山)
【いく野】生野 現在の京都市福知山市 「行く」と掛詞
【道の遠ければ】道のりが遠い
【ふみも見ず】行ってもいないし、手紙も見ていない「」文「踏み」の掛詞
【天の橋立】日本三景一つで、京都府宮津湾の岬。歌を詠んだ人物(約500文字)
歌の分類
【歌集】金葉和歌集
【歌仙】-
【テーマ】雑の歌
【50音】お音
歌を詠んだ人物
【作者】小式部内侍(こしきぶのないし)
【性別】女性歌人
【職業】女房(現代職業:キャリアウーマン)
【生年】999年(長保元年)頃
【享年】1025年(万寿2年)11月
小式部内侍(こしきぶのないし)は、平安時代の人物で父・橘道貞(たちばなのみちさだ)と母・56番の歌人・和泉式部です。恋多き和泉式部と一緒に、藤原彰子に仕えて働きました。和泉式部と区別するために小式部内侍と可愛いネーミングで呼ばれました。
小式部内侍も和泉式部と同じように、美人で和歌も上手かったことからモテモテです。藤原教道(ふじわらののりみち)や歌会でからかわれた藤原定頼らエリート官僚たちとたくさんの恋愛を楽しみます。
残念な事に、藤原公成(ふじわらのきんなり)の子を出産した後に20代の若さでこの世を去ってしまいました。勅撰集には4首収められています。