百人一首
【原 文】わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波
【上の句】わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの(わたのはらこきいててみれはひさかたの)
【下の句】雲居にまがふ沖つ白波(くもゐにまかふおきつしらなみ)
【決まり字】6字決まり「わたのはらこ」
超現代語訳
船に乗って海から見る景色って、特別なんだよ。真っ白な雲と見分けがつかないほどに美しい白波が見えるんだ!
歌のポイント
- 歌よりも長い歌人名にインパクトがありすぎる!
- 保元の乱を引き起こした人物とは思えないとっても爽やかでゆったりとした歌
- 2首ある「わたの原」の2首目
歌の情景
この歌は、77番の歌人・崇徳院の歌会で「海上をはるかに望む」というテーマで披露した歌です。
船に乗って大海原から観た景観は、空と海が近くて雲と白波の区別がつかないと大自然のさわやかな様子を詠みあげています。ゆったりとしたいい気分になれる歌です。
語意
【わたの原】海原。大海。
【こぎいでて見れば】船に乗って眺めてみると。
【久方の】雨・月・星・雲・光などの天空にあるものにかかる枕言葉
【雲居にまがふ】雲と見分けがつかない、見まちがえる。
【沖つ白波】沖にたつ白い波。「つ」は「の」の意味の助詞。
歌の分類
【歌集】詞花和歌集
【歌仙】-
【テーマ】雑の歌
【50音】わ音
歌を詠んだ人物
【作者】法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだいじょうだいじん)
【性別】男性歌人
【職業】公卿(現代職業:政府役人)
【生年】1097年3月15日(承徳元年閏1月29日)
【享年】1164年3月13日(長寛2年2月19日)
法性寺入道前関白太政大臣(ほっしょうじにゅうどうさきのかんぱくだじょうだいじん)は、藤原忠通(ふじわらのただみち)の事です。スーパーエリート藤原家に生まれた平安時代後期の人物で、武士の世を作るきっかけとなった「保元の乱」を引き起こした人物です。
関白・藤原忠実(ふじわらのただざね)の長男で、95番の歌人・前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)は忠通の息子です。忠通が25歳の時に、父・忠実がリストラされ摂政や関白、そして太政大臣の地位を手に入れ大物政治家となりました。またそれは同時に藤原家のリーダーのポジションも手に入れたことになったのです。エリートの中のエリートとなった忠通ですが、これは父との対立をどんどん深めていくきっかけになります。
白河法皇が亡くなると、父が政治の舞台に復活してきます。忠通の弟・頼長(よりなが)とタッグを組み忠通を政治から追い払おうとしていたのです。そこで、さらに対立を深め保元の乱が起こってしまいました。結果、第77代・後白河(ごしらかわ)天皇チームを率いた忠通が勝利をしましたが、悲しい事に自身が仕えていた77番の歌人・崇徳天皇を島流しにするという結果になりました。
トラブルはあったものの、忠通はここで改めて政界の揺るぎないポジションを手に入れ68歳で、この世を去りました。
晩年は、出家し法性寺近くの別荘に住んだことからこんなにもインパクトがありすぎる長い歌人名になっています。勅撰集に69首収めされています。