百人一首
【原 文】花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり
【上の句】花さそふ嵐の庭の雪ならで(はなさそふあらしのにはのゆきならて)
【下の句】ふりゆくものはわが身なりけり(ふりゆくものはわかみなりけり)
【決まり字】3字決まり「はなさ」
超現代語訳
風によって桜が雪のように降り散っているけど、降り散って行くのは私じゃないか~。
歌のポイント
- 桜の花びらで溢れたゴージャスな歌かと思いきや、自分の老いを嘆いた歌
- 承久の乱で、鎌倉幕府に勝利させたキーマンの歌
- セレブ西園寺家の祖となった人物の歌
歌の情景
この歌は、「落ちる花」をテーマに詠まれた歌です。強い風が吹いて庭一面に、雪のように降り積もる桜をみて、しみじみと自分の老いを感じ詠みあげた歌です。華やかな光景に対して誰も逃れることの出来ない時間の流れを静かに歌っています。
語意
【花さそふ】花をさそって散らせる。
【嵐の庭】激しく風の吹く庭。
【雪ならで】雪のように散る花。花吹雪のこと。
【ふりゆくものは】雪の降りゆくとわが身が古りゆく(老いてゆく)の掛詞。
【わが身なりけり】私の事だ。「なり」は、断定の助動詞の連用形。「けり」は詠嘆の助動詞の終止形。
歌の分類
【歌集】新勅撰和歌集
【歌仙】-
【テーマ】雑の歌
【50音】は音
歌を詠んだ人物
【作者】入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)
【性別】男性歌人
【職業】公卿(現代職業:政府役人)
【生年】1171年(承安元年)
【享年】1244年10月2日(寛元2年8月29日)
入道前太政大臣(にゅうどうさきのだじょうだいじん)は、平安時代末期から鎌倉時代前期に活躍した藤原公経(ふじわらのきんつね)こと、西園寺(さいおんじ)公経です。
藤原実宗(ふじわらのさねむね)の次男として生まれます。朝廷に仕える役人として様々なポジションで働き、源頼朝(みなもとのよりとも)の姪・一条全子(いちじょうまさこ)と結婚したことから、鎌倉幕府の関係者たちとは仲良しでした。そこで、鎌倉幕府を倒そうと立ち上がる第82代・後鳥羽(ごとば)天皇の動きをいち早く伝えたことで、承久(じょうきゅう)の乱で、幕府を勝利に導いたキーマンとなりました。
この情報を漏らしたことで、命を狙われましたが、鎌倉幕府が勝利したことで朝廷と幕府の関係をより良い関係へとリードしました。孫の頼経(よりつね)は、鎌倉幕府第4代将軍として活躍し、公経も内大臣、さらには太政大臣のポジションに就きました。晩年は、京都の北山に西園寺を建てて出家したことから、西園寺と呼ばれるようになりました。勅撰集に112首収められています。