百人一首
【原 文】このたびは幣も取りあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに
【上の句】このたびは幣も取りあへず手向山(このたひはぬさもとりあへすたむけやま)
【下の句】紅葉の錦神のまにまに(もみちのにしきかみのまにまに)
【決まり字】2字決まり「この」
超現代語訳
突然出かけるっていうからさー、準備できなかったよ。
だから、もう思い通りに、この美しい紅葉を観てちょーだい!お願いっ!
歌のポイント
- 学問の神様・菅原道真(すがわらのみちざね)が詠んだ歌
- 手土産を準備出来なかった時に、手土産の代わりに詠みたい歌
- 「この もみ」と覚えたい一首
- 山の神様に捧げた神聖でゴージャスな歌
- この歌を覚えたら、偏差値が上がりそうな歌
歌の情景
この歌は、道真が急に宇多上皇と一緒に出かける事になり、その旅の途中で旅の安全を祈願した際に詠んだ歌です。お祈りをする際に神様に捧げる幣を準備出来なかったことから、手向山の紅葉を美しい絹織物にたとえました。ゴージャスな手向山の紅葉がすぐにイメージできます。
語意
【このたび】旅と度の掛詞
【幣】旅の安全を祈って、道祖神にお参りする時に捧げるキレイな紙や布
【とりあへず】用意できなかった
【手向山】「たむける」と「手向山」の掛詞。 大和国(やまとのくに・現在の奈良県)から、山城国(やましろのくに・現在の京都)へ向かう時に通る山
【紅葉の錦】鮮やかな紅葉を美しい絹織物にたとえた
【まにまに】思い通りに
歌の分類
【歌集】古今和歌集
【歌仙】-
【テーマ】旅の歌
【50音】こ音
歌を詠んだ人物
【作者】菅家(かんけ)
【性別】男性歌人
【職業】公卿(現代職業:政府役人)
【生年】845年8月1日(承和12年6月25日)
【享年】903年3月26日 (延喜3年2月25日)
菅家は学問の神様の菅原道真(すがわらのみちざね)です。父は菅原是善(すがわらのこれよし)で、インテリな学者一家に生まれます。幼いころから、誰よりも優れた頭脳を持ち、ずっと熱心に学び続けていました。第59代・宇多(うだ)天皇の超お気に入り人物で、政府役人として日々大活躍し順調に出世して行きました。
が、ある時遣唐使廃止を訴えたことが原因で悪い噂を流されて、藤原氏によってリストラされてしまいます。その後、大宰府での勤務を命じられ、2年後にこの世を去ってしまいました。
数年後、都では藤原一族が次々と亡くなる悲惨な出来事が起こりました。これは、道真の祟りとされています。道真の祟りから逃れるために、リストラを取りやめて右大臣に復帰させて、道真を祀った北野天満宮が作られ、広く学問の神様と知られるようになりました。