百人一首
【原 文】心にもあらで憂き夜に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな
【上の句】心にもあらで憂き夜に長らへば(こころにもあらてうきよになからへは)
【下の句】恋しかるべき夜半の月かな(こひしかるへきよはのつきかな)
【決まり字】4字決まり「こころに」
超現代語訳
こんなにもツラい世の中を生き続けるなら、今夜の美しい月はずっと愛しく思っちゃうだろうなー。
歌のポイント
- 天皇なのに藤原道長にめっちゃストレスを感じて詠んだ切なすぎる歌
- 生きていれば、絶対に良い事あるよ!って言ってあげたくなる歌
- 63番の歌人・左京大夫道雅へ怒り爆発させた天皇の歌
歌の情景
この歌は、なんとも切なすぎる第67代・三条(さんじょう)天皇が詠んだ歌です。
当時、藤原道長(ふじわらのみちなが)のパワーは絶大で、三条天皇は病気を理由に天皇のポジションを明け渡せと道長から迫られていました。三条天皇はわずか5年間天皇として活躍しましたが、その間に皇居で2度も火災が起こったり自身は病により失明寸前でした。あらゆるトラブルに巻き込まれ、わずかな視力で観たキレイな月に見惚れて素直な心境を歌に込めました。
語意
【心にもあらで】自分に意志に反して。
【うき世】生きることが辛いこの世。
【ながらへば】生き続けるならば。
【恋しかるべき】恋しくなるにちないない。
【夜半の月かな】今夜の月が恋しくなって思いだすだろう。「かな」は感動の終助詞。
歌の分類
【歌集】後拾遺和歌集
【歌仙】-
【テーマ】雑の歌
【50音】こ音
歌を詠んだ人物
【作者】三条院(さんじょういん)
【性別】男性歌人
【職業】天皇(現代職業:天皇)
【生年】976年2月5日(天延4年1月3日)
【享年】1017年6月5日(寛仁元年5月9日)
三条院(さんじょういん)は、平安時代中期の第67代三条天皇のことです。第63代・冷泉(れいぜい)天皇の第2皇子として生まれました。母は藤原超子(ふじわらのちょうし)で、56番の歌人・和泉式部(いずみしきぶ)と熱愛を繰り広げた為尊親王(ためたかしんのう)そして敦道親王(あつみちしんのう)と同じ母親です。
11歳の若さで皇太子ととなり、36歳で天皇として即位しました。しかし、絶大なパワーを持っていた藤原道長に病気を理由に退位を迫られ、道長の孫・後一条天皇に天皇の座を明け渡しました。
天皇として即位していた僅か5年の間に皇居が2度も火災にあったり、病気によって視力が失われていきました。また娘の当子内親王(とうしないしんのう)が、63番の歌人・左京大夫道雅(さきょうのだいふみちまさ)とのスキャンダルを起こすなどトラブル続きの人生を送りました。
退位後、僅か1年でこの世を去りました。