百人一首
【原 文】思ひわびさても命はあるものを 憂きに堪へぬは涙なりけり
【上の句】思ひわびさても命はあるものを(おもひわひさてもいのちはあるものを)
【下の句】憂きに堪へぬは涙なりけり(うきにたへぬはなみたなりけり)
【決まり字】2字決まり「おも」
超現代語訳
ツラい毎日だけどなんとか生きている、でも涙は我慢できないよ。
歌のポイント
- 歌の上達を願い、京都から大阪まで歩いて参拝したスゴイ人
- とにかくひたすらに泣きたい時に詠みたい歌
- 男の涙は、可哀想と思える歌
歌の情景
この歌は、恋に悩み嘆き苦しんでいる歌です。こんなに苦しい気持ちで、毎日なんとか生きているけれど、だただた我慢が出来なくて涙が流れてくると詠みあげています。
何度となく流れる女性の涙と違って、男の流す涙には深い悲しみあると感じられる歌です。
語意
【思ひわび】「思ふ」「わぶ」の複合動詞。恋に悩む。
【さても】それでも。
【命はあるものを】なんとか生きているのに。
【憂きに】つらいことに。
【たへぬは】我慢できないのは。
【涙なりけり】涙である。「けり」は詠嘆の助動詞。
歌の分類
【歌集】千載和歌集
【歌仙】-
【テーマ】恋の歌
【50音】お音
歌を詠んだ人物
【作者】道因法師(どういんほうし)
【性別】男性歌人
【職業】僧侶(現代職業:お坊さん)
【生年】1090年(寛治4年)
【享年】1182年(寿永元年)頃?
道因法師(どういんほうし)は藤原敦頼(ふじわらのあつより)で、平安時代後期を生きた人物です。治部丞・藤原清孝(ふじわらのきよたか)の子で、宮中の馬を管理する右馬頭(うめのすけ)になりました。
83歳の頃に出家し、道因と名乗り比叡山に住みました。そして歌の上達を願い大阪の住吉神社までなんと徒歩で元気にお参りに行ったのです。また数多くの歌会に参加し、耳が遠くなっても全てを聞き逃さないようにと、歌会の司会の側に必ず座席を確保し熱心に参加したというユニークなエピソードも残っています。勅撰集に41首収められています。